姉の死 vol.63

2020年10月7日、命日の日に一周忌法要&納骨。

結局先月末とこの日と、立て続けにX氏に2回来訪させてしまったが

結果的にこれで良かったと本当に思う。

前回は遺骨を抱きつつくつろいで久しぶりにお喋りしたり

一緒に彼岸花や滝を見に行ったりと楽しい秋の一日を過ごして

この日はしんみりと法要となった。

 

到着してウチに向かってる途中もX氏はなんか元気なかったが

昼食時も口数が少なく、箸が進んでない。

後から聞くと「姉子は食べられないのに自分がこんな美味しい料理を食べていいのか」

と葛藤していたらしい。

いやいやそんな、姉が食べられないからこそ、姉の代わりに、姉の分まで食べてよ。

 

いつもオイオイ泣いてるが、この日はより一層泣いていた。

 

午後1時、住職さんが来られる。

あまり長くないお経をあげてくださり、すぐお墓に行くのかなと思ってたら

思いのほか、住職さんが長話をされた。

意外だ、この住職さんはあまり喋らない方だと思ってた。

それも「自分は仏教を信じてないし、これからも信じる予定すらない」と

なかなかファンキーな発言をなさるし

結構自分語りが多かったので、ああこういう坊さんなんだと思った。

なぜ仏教を信じてないかの説明はしてくださったが、よく覚えてない。

「因果」ともうひとつ何かのキーワードがあった気がする。

 

父が住職さんの車に同乗し、私と母とX氏は少々遅れて私の車でお墓へ向かった。

X氏は車の中で骨壺を開け、思い出のネックレスを中に入れていた。

骨とは1年ぶりの再会だ。

 

私らが到着した時にはお墓は開けられていた。

しまった、開け方知りたかったと思ったが、閉める時に見たので合ってるんだろう。

祖父母の骨壺の横に姉の骨壺が置かれた。

中は結構広い。あと両親が入る予定だが、大丈夫そうだ。

私が入るスペースあるかなあ。

 

お墓を閉じ、住職さんは帰られた。

 

もし姉がこのお墓に入りたくなければ大嵐を起こすだろうとX氏は言ってたが

雲一つない快晴、きっとこれで良かったのだろう。

 

17時ごろ、X氏はそろそろお暇しますと家を出た。

帰り際「こんなことになって本当に申し訳なかった、自分が姉子を守るべきだった」と

また大泣きしながら両親に詫びられた。

姉は亡くなる前の8年、X氏と一緒にいた時間が姉の一生で一番幸せだったろうに

そんなにXがお詫びする必要ないのに。

その時父がX氏を慰める姿を見て、最初は酷いことを言ってた父も

今は本当にX氏を信頼してるんだなと実感した。

姉の遺骨は家には無いが、これからもどうかちょくちょく来てくれと願っていた。

 

ウチを出発すると、駅に行く前に寄って欲しいところがあるとX氏が告げた。