姉の死 vol.3

どこまで書いたっけな。

ストーカー男をきっかけにというわけだったかそうでなかったか

行方不明だった姉の居所を知り、メールのやり取りを交わすようになった。

失踪以来3年ぶりくらいかな。ただ、失踪の原因は頑として言わなかったので

当たり障りのないメールを毎日のようにやり取りするようになった。

 

自分と連絡を取ってることを両親には言わないでくれと姉に頼まれてはいたが

死ぬほど心配してる両親を少しだけ安心させたくて

「姉がどこにいるか知らないけどメールだけは出来るようになった」とだけ言っていた。

 

ある時、姉が実家付近に来ることになった。

新幹線停車駅で待ち合わせすると、会った瞬間に泣かれた。

私の車で実家に行き、両親の留守中にコッソリ家の中へ入り

失踪中に亡くなった祖母の仏壇に手を合わせた。

いつ両親が帰宅するかわからなかったのでそれだけですぐに実家を後にし、

姉が学生時代バイトしてたレストランで食事をした。

その後はお喋りしながら市内をドライブし、喫茶店でお茶。

当時中学生だった姉の子の学校にコッソリ行ってみるかと提案したが

さすがにそれは却下された。

駅まで送り、姉は急いで戻っていった。

会ってたのは4~5時間くらいだったかなあ。

 

それから1年後、私の息子がスポーツで大きな大会に出場することになり

私も現地へ観戦に行くことになった。

その会場が姉が住んでる地域と結構近かったので

せっかくだから会おうという話に。

息子の試合初日の前日に、A県某駅前で待ち合わせした。

駅前のホテルで一緒にランチし、電車に乗って姉の住む街へ。

奇しくも姉の住む街は、1992年に両親と私ら姉妹が家族旅行に訪れた地だ。

「あの時もここ来たねー」とか言いながらぶらりと軽く観光し、解散。

この日も会ったのは4時間くらいだったかな。

これが今から7年くらい前。

 

そして、これが姉と会った最期となった。

「生きてる姉と会った最期」というべきか。

厳密には、次に会ったのは7年後、遺体との再会だった。

 

そしてこのA県某駅、姉の住む街へは

これから何度も訪れることになる、運命の場所となる……。