• 『ひ弱な男とフワフワした女の国日本』/ マークス寿子・著

戦前の日本に生まれ育ち、イギリス人と結婚して渡英した著者(後に離婚されたようだが)が、日本人はこんなにダメだ、それに比べてイギリス人は・・・というテーマで著された本である。

オスマン・サンコン氏やアグネス・チャン女史、ダニエル・カール氏や最近ではゾマホン・ルフィン氏など、日本で活躍される外タレと呼ばれる方々を筆頭に、よく見かけるテーマだ。このテの外国文化と日本の文化の違いを書いた本が好きで、ついついどれもこれもと読み漁ってしまう。

だが、ハッキリ言ってこの本はいただけない。酷い。酷すぎる。所々に共感できる箇所もあるものの、あまりにも勘違いしすぎとしか言いようがない内容に少々腹が立ってしまった。

また、前後で話が矛盾している。しすぎている。著者は一冊の本を書きながら、自分の言ってることが矛盾しまくっている事に気付かなかったのだろうか。

読後、ちょっと気になった記述。

「弟におもちゃをやる」「弟におもちゃをあげる」もしくは
「猫に餌をやる」「猫に餌をあげる」

私はこれまで、当たり前のように後者を使ってきた。しかし、「あげる」というのは高い所へ物を持っていくことからきている言葉で、同等の人もしくは目上に人にモノをあげるときに使う言葉、つまり弟や猫には前者を用いるのが正式な日本語とのこと。著者は、最近の日本語は乱れて「やる」も「あげる」も使い分けられない若者が多い、と嘆く。

でも、猫はともかく弟に「やる」ってのもなあ・・・。響きとしてどうだろう。随分乱暴に感じる。私的には弟ももちろん、猫だって目下扱いしたくはないと思うが。「日本語の乱れ」ではなくて「日本語の変化」として、変わってきてもいい言葉ってあるんじゃないかな。