卒業式

先日行われた小学校の卒業式に出席した。自分の息子の卒業はまだだが、来賓として呼ばれたため。

息子が通う小学校は人数が少ない。これまではそれがショボくてヤダなーと思っていたが、人数が少ない学校ならではのきめ細やかさが感じられた。私が通った小学校はマンモス校で、全てにおいて流れ作業的というか適当にあしらわれたような記憶があり、卒業式も例外ではなく「なんでこんなことしなければならないんだろう」ととても厭な思い出として今でも残っている。反面、今の小学校では卒業生のスペースをゆったりと取っていっぱいお花の鉢植えを置いたり、通路に赤いカーペットを敷いたり、卒業生の椅子は教室用の小さくて硬いものでなく座り心地の良いパイプ椅子が用意されていたり。また、演壇を体育館のド真ん中に置き、それを中心として卒業生と在校生が対面式に座るという気の利いた演出もしてくれている。保護者席は体育館の側面になるので我が子の顔も見えやすい、良い配置だった。人数の多い学校ではこうはいかないだろうな。

ひとごとながらもうるうる泣きながら卒業式を見ていたのだが、イマドキ(というかこの学校)の卒業式って、送辞と答辞ってやらないんだな。きっと誰かひとりが目立つとエコヒイキだの何だのと問題になるんだろう。何しろクラス委員や児童会役員というシステムすら無い学校だし。ただ、6年生ともなれば成績優秀でリーダーシップもあり誰からも慕われるタイプの子って出てきて当然だし、そういう子が答辞やったところでエコヒイキってこともないと思うけどなあ。頑張ってるからこそ優秀なんだし、頑張ったご褒美の晴れ舞台ってことでいいじゃんと思う。例えば幼稚園の発表会で劇をしたら誰がどの配役でエコヒイキだ何だという話とは違うと思う。これから先、努力した人が評価や報酬を得るのは当然の社会に飛び立って行くんだから。

送辞や答辞が個人でされない代わりに、シュプレヒコールみたいに全員で唱えられていた。それはそれで感動的で良かったが。