チョコレート

数日前、新聞朝刊2面にわたって掲載されていた、
明治製菓のチョコレートの広告。
(↓一部引用)

明治から変わる。
チョコレートも。

この甘味でよいのか、この苦味でよいのか、この後味でよいのか。

慣れ親しんだ「おいしさ」に縛られていないか、
守るだけになっていないか。

私たち明治製菓は「OPEN!」をキーワードに、
あらためて「おいしさ」への挑戦を続けてきました。

そしてこの秋、発売77年目を迎えた明治ミルクチョコレートを、
素材と製法を徹底的に吟味しなおして、新発売します。

すべては、この日本をもっとチョコレートのおいしい国にするために。

かつて「明治」という時代が、新しい世界への扉を「OPEN!」したように、

私たち「明治製菓」も、チョコレートの新しいおいしさを
「OPEN!」していきます。

要は100円の板チョコ(ミルクチョコレート)を更に美味しくして新発売するという広告だが、ほんのちょっぴり淋しくなっちゃった。

勿論、こういった企業の前向きな姿勢は良い事だと思うし、チョコレートがもっと美味しくなるのは消費者として嬉しいことなのだが、あの味が無くなってしまうかと思ったらなんとなく淋しい。

子供の頃(も?)ビンボーだった為、100円板チョコは最高の贅沢品だった。小学校のマラソン大会があった日だけ、母が「ご褒美」に買ってくれた。毎年それが楽しみだった。冬の寒い放課後、大好きな板チョコを頬張った幼い頃の思い出。

大人になってからはわざわざ板チョコを買って食べる機会は少なくなった。いろんなメーカーのチョコレート菓子や、美味しいケーキの味も覚えた。
「100円のチョコ」というものが私の中で、それほど贅沢な物ではなくなった。

それでもふと100円板チョコを買ってかじってみると、程よい甘さとほんの少しの苦さの中に、あの懐かしい、幼い頃の記憶が甦る。どうやら舌にインプットされているらしい。

記憶を辿るあの味が消えてしまうかと思うと、思い出がひとつ無くなってしまうような、妙な淋しさを覚えてしまった。

広告に書かれてる「慣れ親しんだおいしさ」が好きだったんだけどなあ。

♪ちょっこれいと、ちょっこれいと、チョコレイトはめ・いじ〜♪