とても身につまされた話。
勝手にリンク張っていいものかどうかわからないので
直リンせずにここに貼り付けておく。
ttps://note.com/tubuan_junk/n/n9abc146746a5
ゴーカンという行為を「できない男」の意見。
倫理的に「しない」ではなく「できない」方の、男側の主張。
著者は私と同い年のこともあって、記事内の「昭和のテレビの線引き」についても
なるほどと膝を打った。
勝手に引用になってしまうけど
映画の話になるが、映画の中で描かれる「暴力」の残酷さ、厭さ、胸糞悪さは「被害者側」をどう撮るか、また被害者側の演技で決まると思う。
被害者側を描かず、加害者側の暴力のみを描いてるのなら「アクションシーン」に近くなる。
とか、
見てたのは子どもの頃で、大人になってから見返してはいないんだけど、
強姦を「性的な見せ物」ではなく「悲劇」として制作側も撮っていたのだと思う。
この部分だな。
AVは「性的な見世物」として描いてるけど、それを被害者側の視点で
被害者側の悲劇として描いているかどうか。
それを子供の頃に見たトラウマ。
男性側の貴重な、正直な意見を知ることができた。
「日本人にロリコンが多すぎる話」は別のnoteに書く。
このnoteもぜひ読んでみたい。