30年近く前だったろうか、シャーロックホームズマニアの父が
「自分は少年時代、延原謙の訳本のシャーロックホームズを読んで育ったので
今、他の翻訳者のホームズ作品を読んでも何かが違う、
遠い昔に読んだ延原氏の訳でホームズが読みたい」と言っていた。
当時はインターネット黎明期でネットで古本はそんなに出回っておらず
あれこれ探し、延原謙氏の息子さんである延原展氏の訳本
(謙氏の訳を手直ししたもの?)のCD-ROMを入手して父に渡した。
父は「これこそが自分が少年時代に慣れ親しんだホームズ」と喜んでいたが
その時父は50代か、紙の本で読みたかったろうなあ。
私はホームズ作品は数作しか読んだことがないものの
でも、ホームズはワトソンのことを「ワトソン君」と呼ぶものであって
ワトソンに「ジョン」と呼びかけるなんてホームズじゃないわいと思う。
単語ひとつでも、世界観が違ってくる。
先のエントリのシドニーシェルダンの話。
私が20歳くらいの頃だろうか、アカデミー出版の「超訳」と呼ばれた
「ゲームの達人」「真夜中は別の顔」「血族」など
それはもう面白い作品の目白押しで、ワクワクして発売日を待ったものだ。
それがある時、徳間書店より出版された「遺産」を読んでみると。
30年近く前に一度読んだだけなのでうろ覚えだが
ギリシャかどこか?の大富豪の紳士が、女性とヨット遊び(かクルーザー)
を楽しんでいる。
紳士は女性に「さあ、ここらで昼めしにしよう」と提案するシーン。
いやーー違うんだよ!!ここは「昼めし」じゃないんだよ!
世界有数の大富豪の上品な紳士はここで「昼めし」とは言わないんだよ。
このシーンは序盤だったので、頭の中で作り上げていた上流階級の世界が
「昼めし」という単語で一気に崩れ、以降は読む気をなくすほど。
アカデミー出版の超訳ならここは「昼食」って単語を使ってたよきっと。
「ランチ」でもギリセーフだけど、私の中の正解は「昼食」なんだよ。
それが、読者が思い描くイメージなんだ。
「昼めし」という単語ひとつで、私は以降シドニーシェルダン作品を読んでない。
「血族」はもう一度読み返してみたいけど、今はその気力が無い。
小説ひとつ読むのに気力も体力も必要になってきた。
読まないのに、本は手放せずに持っている。多分一生処分することはないだろう。